〔当下巻(旧歴史物語下1と同じサイト)は、旧下1・下2を一本化して改訂した最新版です〕
二四〇年代末にヒミコが逝くと、火明饒速日(三代垂仁)は日本朝を開いた。
二代女王トヨの朝貢後、彼はヒミコ陵を前方後円墳に造り変えるや、郊祭して天神に立った。同じ頃、火瓊瓊杵の家督を継いだ火火出見も和国と改名し、日本朝打倒を叫んだ。
二七〇年前後、景行は天神から熊襲征伐を下命されたが、惨敗して六年間も囚われた。ついで仲哀が熊襲征伐を詔され、橿日宮から撃って出た。
この直後、火火出見の名跡を継いだ磐余彦は、兵法極意の「刃に血塗らずして勝つ」を国是に掲げて東征を決意するや、二八五年八月に日向を発ち、敵方の橿日宮を目指した。
結果、仲哀軍が大敗し、仲哀を見限った神功・武内宿禰・日本武らは東征軍に寝返った。
勢いづいた東征軍は、安芸・吉備・出雲を征圧して摂津の六甲山南麓に進攻し、ついで河内湖を横切って生駒山西麓に奇襲上陸したが、惨敗して熊野に迂回した。
三世紀末、北上した磐余彦率いる本軍、外戚の大山祇・海神本家、分家の海神三神ら諸軍が大倭磯城になだれ込んで日本朝を降すと、火明饒速日は天璽の羽羽矢を差し出し、帰順を願い出た。
磐余彦は共に火天神の御子と悟ると、帰順を許して軍事筆頭職に取り立てた。
この間、倭の女王は、豊鍬入姫→倭迹迹日百襲姫→神功皇后→倭(迹迹)姫と続いた。
三〇一年元旦、磐余彦(神武)は橿原に都して大和朝廷を開き、その初代天皇(始馭天下之天皇)に即位すると、大倭王開化の皇子・御間城入彦(崇神、初国知らしし天皇)を太子に指名した。
ついで火明饒速日の児可美真手に物部姓と十握剣を授け、海幸彦がかつて火火出見に誓約した宮殿と大和朝廷の守護を厳命した。
三〇四年二月、神武は鳥見山中に天地を具現した日向式柄鏡型前方後円墳(桜井茶臼山古墳)で郊祭し、天照大御神と高皇産霊を天に配して皇祖皇宗に奉った。
★歴史物語編には、天之国が倭国王朝、倭奴国王朝、日隈・日前・和国、大和朝廷の名で、何度も蘇った歴史が物語風に綴られている。
〔目次〕
日本王朝と日前の対立 ●女王トヨ ●一都七道制 ●天神火明饒速日 ●太子 磐余彦
●景行の熊襲征伐 ●和王 磐余彦 ●仲哀の熊襲征伐
天下は一つ、家は一つ(神武東征) ●東征出発 ●筑紫国の奪還 ●新羅遠征
●吉備征伐/高島宮/出雲征伐 ●生駒の敗北 ●熊野上陸/熊野権現の神倉山垂迹
●日前宮の創祀/日本に迫る ●日本の降伏
大和朝廷の成立 ●橿原宮 ●日本武尊の北伐 ●大和朝廷のはじまり1
●大和朝廷のはじまり2 ●皇祖天神に奉る郊祭
◇十握剣の変転/石上神宮と鹿島神宮の祭祀変遷 ◇日矛の変遷
◇日隈・日前・熊野家統合と先祖祭祀復興 ◇家長と祭器/祭器の変遷
◇箸墓古墳の変遷/歴代ヒミコの墓 ◇向津姫(日神)誕生後の歴史と年代
◇主要人物の生きた推定年代