『生命』とは『自分自身が生命ではない』と気付くまでの物語である。
もし、「あなたの人生の成功はあなたの努力のおかげではない」と言われたら普通の人は不快に思うだろう。これを受け入れられるのは、何らかの原因で自分の人生が上手くいっていないと感じる人だけだ。本文章はとりわけそういう人に読んで貰いたい。
以下に記すのは『自由意志は存在せず、人生は自動的に決まっている。法的根拠の変更を始め、社会もそれを前提として作られるべきである』という私の提案である。
動いているのは『我々』という単位ではなく『素粒子』であって、一瞬一瞬の我々は、刻々と変わるその無数の結果の集合体でしかない。
つまり、本当は一瞬一瞬別人であると考えるのが正しい。
しかし、それら一連の流れを勝手に全て「自分」であると思いこんでいる。
私はこれを『生錯覚』と呼んでいるのだが、なぜ我々が生錯覚から抜け出せないかと言えば、我々が自己の感覚に支配されているということに加え、もしそう考えなければ、自己の存在を否定する恐ろしい問題と真剣に向き合わなければならないからだ。
だから感覚的判断を盾に、この問題を無視しようとするのである。
人生は自動的に決まっており、金持ちになるか犯罪者になるかも全て自動的である。
自由意志を持っていると言う意味での『私』とか『あなた』は存在しない。
我々は単なる自然現象である。
自動的に動く複雑な自然現象としての『私』とか『あなた』は存在するが、石ころや台風と根本的な所で何の違いもない。
勿論、複雑さに違いはあるが、複雑さの違いは単なる言葉の区別の境界線であって、何か絶対的な特別な差があるということではない。
いい加減我々はこの恐怖と向き合い、真実と対峙していくべきである。