幕末ー明治維新時代から今日まで恣意的に隠蔽、あるいは不透明のままだっ
た幕末、徳川政権崩壊前後の内外の未公開資料の解読が着々とはじまって、い
まだに我々日本人がまったく自覚していなかった隠された歴史の分水嶺、幕末
時代にわが国がおかれた国際環境下での真実と国の命運が、欧米政府が公開
した外交機密文書から次ぎつぎに解明されています。
近年、日本人が常識と思っていた教科書やマスコミから知った明治維新から、
今ま での近代史が加工された真実であって、日本が外国にうまく利用されてい
たことにわかってきた。当時の開国前後の主役は大英帝国で英国側の資料をた
んねんに調べてわが国史の闇を解明した。
今日、幕末の歴史が頻繁にテレビ、マスコミ、書籍資料で取り上げられているに
もかかわらず、いまだに有識者や史家の間でさえ心得違い大誤解され、解明さ
れていない疑問が近年の海外公開公文書から明らかになった。
例えば、幕末から明治にかけた約半世紀間に、中国(清国)と比べて実戦軍隊、
海軍も軍備もまったく弱小国だった鎖国中だった日本が突如変貌して、東アジア
最強の軍事大国にまでかけ昇り、やがて東アジア諸国を(征)制覇して世界の列
強国、英、仏、米に肩を並べる軍事強国にまで成り得たのはどうしてだろうか。
アジア諸国の植民地化に一路邁進していた西欧諸国列強は、我々敵を利する
最新兵器は厳重な禁輸統制下において、日本や中国には重火器、長距離大型
砲や戦艦などは禁輸品として、いくら金銀を払っても絶対に売ってくれなかった、
厳重に管理され輸出しなかった。
ところが、ある時期を境に列強のアジア政策のなかで、植民地(侵略)標的にな
っていた国、日本に西欧、特に英国が突如、武器禁輸政策を翻して、最新の軍
艦や武器を売り渡し、軍事顧問まで派遣したのはなぜか。
徳川幕府の崩壊の瑞兆となった天保八年(一八三七年)、大英帝国の使節と
日本人七人の漂流民を乗せた米民間船モリソン号が来航し、江戸湾浦賀沖で
攻撃を受けて被弾し、船は深い損傷を負った上、追い払われた。
人道的な行為に対する国際慣習を逸した非常識な仕返し(怨念)として、英政府
と英海軍はアヘン戦争前後に、日本に大規模な報復攻撃を極秘裏に計画(シー
クレット・プラン)していた。
報復攻撃を決意した英国は、強力な巨砲艦隊を組織して大規模な艦隊で日本
を攻め込む極秘計画を英政府とマカオの英東インド会社と極秘裏に着々と進め
ていた。この計画は、のちに長崎のオランダ館長から幕府に伝えられていた。 と
ころが、アヘン戦争から五年後、千八百四十七年、英国はその計画を突然取り
やめてしまった。なぜか?
はじめてわが国の歴史にとって今日まで知られていなかったこの謎、重要な分
岐点、我国が操れれていた背景を、大英帝国の政府内機密文書に残っている
史実に基づいて本著歴史ミステリー「黒船が現れえるまで」で解明。