幕末から明治にかけた約半世紀間に、中国(清国)と比べて実戦軍隊、海軍も軍備もまったく弱小国だった鎖国中だった日本が突如変貌して、東アジア最強の軍事大国にまでかけ昇り、やがて東アジア諸国を(征)制覇して世界の列強国、英、仏、米に肩を並べる軍事強国にまで成り得たのはどうしてだろうか。
アジア諸国の植民地化に一路邁進していた西欧諸国列強は、我々敵を利する最新兵器は厳重な禁輸統制下において、日本や中国には重火器、長距離大型砲や戦艦などは禁輸品として、いくら金銀を払っても絶対に売ってくれなかった、厳重に管理され輸出しなかった。
ところが、ある時期を境に列強のアジア政策のなかで、植民地(侵略)標的になっていた国、日本に西欧、特に英国が突如、武器禁輸政策を翻して、最新の軍艦や武器を売り渡し、軍事顧問まで派遣したのはなぜか。
徳川幕府の崩壊の瑞兆となった天保八年(一八三七年)、大英帝国の使節と日本人七人の漂流民を乗せた米民間船モリソン号が来航し、江戸湾浦賀沖で攻撃を受けて被弾し、船は深い損傷を負った上、追い払われた。
人道的な行為に対する国際慣習を逸した非常識な仕返し(怨念)として、英政府と英海軍はアヘン戦争前後に、日本に大規模な報復攻撃を極秘裏に計画(シークレット・プラン)していた。
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黒船があらわれるまで(第11章)終章: 歴史の謎を解明
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